Global Avenue Okinawa その角を曲がれば世界に広がる 

TORONTO留学・ワーホリ、英語、沖縄じょーほー

スクリーン見ない方が幸せ説 ~Screen makes us less happy∼

こんにちはたっちゃんです。

 

便利すぎて不便な世の中になった説を書いてみました。

 

皆さんもご存じだと思いますが、インターネット、特にスマートフォンがあることによって人々の暮らしに趣きを感じることが少なくなりどこか味気のない生活がある。

 

f:id:tatsuyaiheya:20200405231050j:plain

スクリーンスクリーンスクリーン

 

最近読んだ「インターネットの呪縛」という作品を例に考えてみたい。

 

めちゃくちゃかんたんにあらすじ説明すると離れて住んでいる姉に

妹がお金を貸してくれないなら自分の臓器をネット上で売ると脅した話。

 

インターネット、スマートフォン、タブレットなど

スクリーンの前で過ごす時間が一日の半分以上の割合を占めるようになり

 

人々の幸福度への影響やコミュニケ―ション形態の変化など様々な問題を生み出している。

 

特に若者達の間ではSNS依存者の数は多く

 

片時もスマートフォンやタブレットが離せないような状況に陥ってしまっている。

 

考えてみてほしい。

 

交通信号を待っているとき無意識にケータイを見ていませんか?

起きたらとりあえずLINEニュースやSNSのストーリーを流し見しませんか?

 

情報伝達のツールとしての利便性はもちろん高いが、その利便性がときに知りたくもない情報を与え、

人々を現実世界から切り離してネット上や画面上の世界に閉じこめてしまうという結果を作り出している。

 

スマートフォンがあればその場から動くことなく大体のことはできる。

電話やメールでの連絡はもちろん、ニュースや様々な情報の取得、ネットショッピングや数えきれないほどの便利なアプリ、動画サイトやゲームなどの娯楽。それ1つあれば何でもできるという利便性が処理することができない膨大な情報となってスクリーンを通して目に入ってきて、自分は何を求めているのか、何が必要で何をどうすればいいのかを不明確なものにし、人々を混乱させている。

 

また同時にスクリーンは実際にそこにはいない他者の目や声になって人々を束縛し生活を監視するような状況を作り出している。

 

「インターネットの呪縛」ではまさに束縛という状況が描き出されていた。

 

「昔はアメリカに行けば、故郷のしがらみはいつでも断ち切れると思っていた。人生を思い通りにやり直せると。でも、インターネットのおかげで何もかも台無し―家族はいつでも好きな時に私をつかまえることができる。これでは近所に住んでいるのとちっとも変わらない。」(10)

 

この表現に見られるように主人公であるわたしはインターネットがあることによって家族から離れているのに束縛されているような環境に不満を持っている。

 

家族から離れることによって自由を手にして自分の夢を叶えるために努力して働き、理想に向かって進んでいたわたしの生活はインターネットのせいで家族と一緒に住んでいるのとさして変わらないような状況になってしまっている。

 

特に妹とのメールのやり取りが頻繁になったため、物理的に会えない距離とインターネットを通しての精神的な束縛されているという状況にあって妹の無謀な申し出に姉が答えなければならないという結果を招いた。

 

実際に会って話す、見て確かめることができない状況での駆け引きが物語の鍵となっていたといえる。

妹は駆け引きの条件を提示することで先手を取り、断然優位な立場から交渉を進めた。

なおかつ妹は姉の性格をよく知っていてこの駆け引きにおいて、

あざとくも姉のやさしさを利用している。

 

最初から結果がこうなるとわかっているような試合をわたしはプレイしなければならなかった。それもインターネットの普及が確実に関係している。

 

もしインターネットがなければ妹はわたしを脅すようなことはできなかったし、

わたしも臓器売買の広告のウェブサイトを作るという全世界の目に入るという異常な方法でなければここまで危機感を感じることはなかった。

 

インターネット上の情報は秒で世界中の何十億という人々の目にはいる。

 

連絡のやり取りも驚くほど速く簡単にできるし、そのページから妹との契約を結ぼうとする人も一人とは限らない。速く多くの人の目に入るという利便性ゆえに危険性は何倍にも膨れ上がり、わたしに緊張感を与えて不安を煽ったと考えられる。

 

「ことは一刻を争った。」(10)

 

この言葉からわたしがいかに緊張感を感じたか読み取ることができる。

 

わたしがすぐにでも返事をしなければ妹は本当に契約を結び自らの臓器を売りに出すかもしれないし、もしくはもう売ってしまったかもしれないというある種の絶望感からわたしはこのバカげている脅しを受け入れメールでお金を貸すという返事をし、駆け引きに敗れた。

 

妹の正気とは思えない広告はインターネットを使うという手段とその浸透率によって現実性を帯びたのだ。

 

「無関心は軽蔑の最たるものだから。」(8)

 

この言葉めちゃくちゃ好き!

 

これはわたしが妹に与えたアドバイスであるが、皮肉なことにわたし自身によく響く言葉になっていると言える。つまり生活にインターネットがあることによってわたしは妹に対して無関心になることすらできなくなってしまったのである。

 

この上ないほど便利過ぎて不便ちゃう?

 

それを書いてるたっちゃんもスクリーンの前にいると思うと戦慄。

 

 

引用

ハ・ジン「インターネットの呪縛」(The Bane of the Internet)(2009)