I listen to colours
色に耳を傾ける。
おされすぎるやろ。
こんにちはたっちゃんです。
TED talksでおもしろいなプレゼンテーションを見た。
プレゼン者の名前はニール・ハービソン
彼は色盲と呼ばれる視覚の機能障害を持つ人で
色を見わけることができない。
幼小時代はすべての映像が白黒でしか認識することができなかった。.
機械のおかげで、脳内に埋め込まれたチップを通じ、
見るものをその色の周波数として処理され、「音」として感知できるようになったというもの。
色が音と組み合わせて認知されるため
色を視覚ではなく聴覚で「感じる」。
この装置を付けてからの生活が長くなると
その逆の感覚も発生し、生まれてきて、音を聞いて色で感じることができるようになった。
はたして、当然、生活は色と音が溢れている。溢れかえっている。
世界の切り取り方がスーパーユニークかつその表現は独特。そりゃそうだ。
ハイピッチなでポップな歌は黄色やピンク系に見える。
具材が豊富なサラダはレディーガガの曲を連想させるし、
ギターのコード、音に合わせた服のコーディネートをする日もある。
目の音が似ている人々などなど
まるでHUNTER×HUNTERみたいな世界観。知らんけど。
ちなみに大学のゼミでこの現象を説明する言葉を習った。
Synesthesia.
Synesthesia(シネスティージア)とは
共感覚と呼ばれるもので、ある刺激に対して通常感じられるはずの感覚だけでなく他の感覚によって対象を認知する知的現象のことをいう。
例えば、文字に色を感じたり、色を音として感じたり、何かに触れることでにおいを感じるなどさまざまだ。
文学では特に多用される表現方法で読んでいて面白い本には103%
共感覚の表現が使われている。日常生活でももちろん。
共感覚の表現が世界には、特に日本には腐って発酵する以上にあるのだが、なぜその色なのか、どんなにおいで表現されているのかなどと余り深く考えることはない。
“黄色い歓声“は女性からの応援、好意を表す表現。
声や音域、感情まで含めて色で表現している。
“大人の空間“って言われたら少し薄暗い間接照明とジャズが思い浮かぶし、そこにはブランデー。
ミーハーだからかな。笑。
青春(あおはる)も学生時代とか、まだまだ未熟で甘酸っぱい感情のグラデーションがめぐるめく思春期の感情、記憶と結びついてる。
春のにおいがした。
って言葉もすんなり心に入ってくるけど、その匂いが表現するもの連想させるものは人によって期待感でも、失望感にもなるし、1つと決まってるわけじゃない。経験とか思考、文化が深くかかわってくるのかも。
春は目には見えないし、においはその時期に咲く植物や天気とかにものかかわりが深い。
感情を色なり、音なりで表現する感覚が日本人の心理描写の奥ゆかしさを培っているのかもしれない。
ひとつの表現をテーマにとって、色の使い方、リズム、連想させる情景をそれぞれの意見として、ああでもない、こうでもないみたいなくだらないけど笑いたい。
でーじ有意義な時間になる。
その話をすることによってその人の経験とか感覚を知ることになるのかもだから。
なんかスピリチュアルな気分になるわ。日常にあるそういう表現、その原材料にもっとアンテナ向けて発掘しよ。