僕のメジャースプーン
たっちゃんです。
コロナ以前読書会があった。
月に1冊同じ本を決めて読み、集まってお酒を飲みながらその本について感想を言い合うという
一言で言うと読書感想会。
参加者は琉球大学のメンバーで英語、文学専攻の先輩、後輩たちだ。
これがとてつもなく愉しいとともに深い学びの場であり貴重な時間だったが
現在コロナの影響で集まるということができず、オンラインでの開催はしているものの
仕事や時間の都合が合わずに参加できていない。
毎度先生が要約と考察を提示してくれる。いい機会なのでそれを文章として残して共有する。多くの人の目に留まり、読書好きの人と繋がるきっかけになればこの上ない幸いだ。
辻村深月著『僕のメジャースプーン』
残酷な事件に巻き込まれ、閉ざされてしまった少女の心を開く方法を模索するうちに内なる心の重要性に気づく少年の物語。
動物虐待によってそれを可愛がっていた少女の精神が破壊される一方で、その犯人は対象が動物だということでさしたる罪には問われない。
正義とは、犯罪とは何かという疑問を提示する。
名作『Godfather』の冒頭のシーンが思い出される
娘に集団暴行を加えた若者たちが、これもさしたる罪に問われず釈放されたことに憤慨する葬儀屋
映画では法律上ではどうにもならない復讐の頼みとしたのがマフィアの超社会的な力なのだが、本作品ではそれが主人公の少年が持つ「力」にあたる
この力は呪いをかける能力ということだが、いわゆる言葉によって相手を拘束するということ
魔法とか色々言い方はあるだろうけど、基本はスペルspell
つまり言葉そのもの
本作品ではこの力が「条件ゲーム」と呼ばれる
「努力しないと、報われない」のように条件をつけて相手の行動を操る。
実のところ人間は物理的な肉体の隅々を含めてほとんどが「言葉」に支配されている。
「付き合う」と言った瞬間、なぜか相手以外の異性といることに罪悪感を生じさせられるように、言葉によって規制がかかる。
「何もしない」、「ボーっとする」といった非行動的なものも含めて、我々の生活の中で言葉が介在しない行為、状態があるか思い巡らしてみるといい。
この言葉で支配された人間の行為に積極的に介入するというのが「条件ゲーム」
しかし、この「条件ゲーム」には2つのファクターが不可欠である
それは「参加」と「均衡」
ゲーム理論といえばウィトゲンシュタインが有名だが、その精緻な論理よりも重要なのが、そのゲームは決まりごとの適用範囲内にだけしか機能しないこと、つまり参加しなければそもそも意味を持たない。
この不参加の逃げ道を封じるのが少年の「力」の役割なのであろう
つまり強制終了ならぬ強制参加だ。
主人公の少年は、自分の大好きな少女の心を壊した犯人への復讐に、この力を使ってどのような条件を与えるべきか模索する
罪と罰の均衡
しかし、少年はなかなかその罰を見つけられない
なぜならどれくらい残酷で重い「罰」が犯人の犯した「罪」と「均衡」が取れるのかわからないからだ
その苦悩は例えば法律、あるいは日常生活において我々がいかに「不均衡」の中に生きているかを明るみに出す
よく自分がこれくらいのことをしてあげているのだから、これくらいのことはして欲しい、あるいはしてくれて当たり前というような感情を抱くことがあったとする
それって同等?
これくらい働いたからこれくらいの報酬は欲しい
それって同等?
そもそも通貨のレートが変動することから、お金でさえ価値の均衡はありえないことを我々は目の当たりにしている
条件というけれど、結局のところ原因と結果は同等のものとはなりえない
均衡などない
そうしたまやかしの均衡の上に成り立つゲームに少年は圧倒的な不均衡を持ち込む
つまり自分の死だ
自分の死を賭けてでも犯人に償いをさせる
しかし、犯人はさらにこの不均衡だらけの世界の闇を暴露する
つまり人の死をなんとも思わない
人の死などそれと均衡する価値など何も存在しないということを見せつけるのである
この辺りの凄まじさについては、韓国映画の『悪魔を見た』が大いに参考になるだろう(韓国映画恐るべし)
もちろん本作品において犯人は法律というゲームによって処罰されることになるのだが、そのゲーム自体の限界を暴いてしまったことに重みがある
なぜなら、かろうじて生き延びた少年は、ゲームとは無関係に、閉ざされた心を開いていく少女に立ち会うことになるからである
そのきっかけは紛れもなく少年の少女に対する思いやり
自分の死という究極の不均衡を賭けることのできた少年の思いは明らかにゲームを超越している
そもそも不思議な力だとかゲームだとかは全く役に立たなかったのである
しかし、そのゲームというまやかしの均衡を巡って苦悩したことは自分の内部にある思いやりの重要性を改めて気付かせた
タイトルのメジャースプーンとは計量スプーンのことであり、それは少女が少年に贈ったもの
サンタがいる、いないかを巡って少年がクラス中を敵に回して「いる」と主張しながらも、最後に「いない」と認めた
「いる」と信じていながらも、クラス全体の不和を解消するために「いない」と卑屈に笑った
そうした悲しい「不均衡」を受け入れることができる少年の優しさを少女は見抜いていて、大切にしていたメジャースプーンをあげた
計量スプーンはその名の通り量を計るものである
少女だけは少年の気持ちを計ることができた
少女が渡した小さなメジャースプーンは、この世は計れないものに溢れているという象徴なのだろう
ギブアンドテイクの均衡にあくせく生きることの虚しさに改めて気づかされる。