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結果の対義語は原因 それよりも目的で物事を見てみる説

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こんにちはたっちゃんです。

 

 「嫌われる勇気」という本を読んだ。

でーじ面白いことがたくさん書いてあった。

ユニークと思った一説について考えてみたい。

 

成人男性が喫茶店でウェイターにコーヒーをかけられた際に

 

ウェイターを大声で怒鳴りつけた。

 

僕がこの状況で怒るのは正しいでしょう?と質問をした。

 

もしかすると、誰もが「怒るのが当然」と思う状況かもしれない。

 

要するに男性は

 

怒るという「結果を招くのに十分な原因があった」と説明したいわけだ。

 

この考えは原因論である。

原因論というのはかの有名なフロイトが提唱した。

現在の出来事や状況は過去の経験に起因すると考えるものでシンプルに

 

結果 → 原因(過去) 

 

の関係性でほとんどすべての人間がこの考えが共通感覚として理解しているのではないだろうか。

 

原因論では人間不信、男性不信、引きこもりといった状態がよく例に出される。

 

人々がそのような状態になるには過去のトラウマ的な経験原因と考えられるからだ。

 

最も信頼していた親友に裏切られた人は過去と同じようには人を信じられないかもしれないし、

最も愛情を注いでいた男性にもてあそばれた人は過去と同じように人を愛せないかもしれない。

 

そういった過去のトラウマ的経験から引きこもる人もいるだろう。

 

つまり、ウェイターがコーヒーをこぼすという失態が原因

 

男性が怒り大声を出し怒鳴りつけたという結果が生まれたと考えられ

 

男性はそれは当然なことだと主張している。

 

しかしながらやしがばっと

 

「嫌われる勇気」では目的論が提唱されている。

 

目的論とは簡単に言うと

 

潜在的なものも含んだ個人の目的が先にあり、それによって結果につながる行動を取ったと考えるものだ。

 

目的 → 結果(未来)

 

結果を生み出した行動に目的があったと考える。または、目的を与える考え方だ。

 

僕がこの状況で怒るのは正しいでしょう?の質問に対する哲学者の回答が以下である。

 

あなたには大声を出す、という目的が先にあった。すなわち、大声を出すことによって、ミスを犯したウェイターを屈服させ、自分のいうことをきかせたかった。(p.34)

 

 

この考え方はなかなか目から鱗だった。アイからウロコがフォーリンダウン。

 

目から鱗っていう表現は聖書からきてるって知ってた?

 

成人男性は自分の人生、現在の生活、仕事に満足しておらず

 

幸せとは何かを常日頃から考えている。

 

彼は潜在的にウェイターという赤の他人に対して日ごろのうっぷんをぶつけたいと思っていた。

 

また、厳密に考えると彼は潜在的に怒りをぶつけられる場所を選択しているのがわかる。

 

人生は選択問題集だ。

 

レストランにおいてお客様が上でとウェイターが下という上下関係が存在する。

こと日本においてはこの考え方が濃厚だ。

 

「お客様は神様」という理論を掲げる接客業は多い。

 

企業側がこの思考を持つのはいいことだ。

その姿勢・マインドで働くことがより良いサービスの提供につながるからだ。

 

やしがしかしばっと

 

お客側がこの思考を持つのは危険だ。コロナよりデンジャー。

 

店員さんに横柄な態度を取ったり、いちいちクレームをつけ店員さんを困らせるからだ。

 

ウェイターがコーヒーをこぼすこぼさないかに関わらず何かアラを探して

いちゃもんつけてたはずだ。

 

店員さんに横柄な態度を取る人を見ると引く。ドンびく。干潮の泡瀬干潟みたいに引く。

 

つまり、成人男性は大声を出して人を怒鳴りつけたいという目的があり

 

レストランという絶好の場所を選択し行動し、目的を達成した。

 

ばいだうぇい目的論は仕事にも活用できるらしい。

 

原因論を持って部下や同僚に接する人は気づかない内にパワハラをしている可能性があるらしい。デンジャー。

 

何か問題が起こったときに

「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」と原因を突き詰めてしまいがちだからだ。

 

「なぜ?」って聞かれるとなんか責められてる気するちゃう?

 

ミスしたら怒られる。徹底的にマニュアルに沿わないと。っていう考えに収まって

いると柔軟な思考と風変わりなアイデアなんて出ない。

 

何も考えずに一生同じ仕事を機械的にこなすのは以外に簡単だ。

簡単だったと言うべきか。

 

愛知の自動車工場でエンジン組み立てのラインの期間従業員をしてた頃を

思い出す。

 

振り分けられた作業を覚えたら後は体が勝手に動く。。思考なんてない

 

マニュアルに載っていないことは一切しない。

ミスをしたら上司が飛んできて修正する。

同じミスをしたら怒鳴られることも普通にあった。

 

彼らはこれを「教育」と呼んでいた。なつい。疑問だが。

あの教育は能力や可能性をぜんぜん引き出してはくれなかったが。

 

www.tatsuyaiheya.com

 

 

機械が壊れたり、システムの誤作動なら原因を追究するのは効果的だ。

 

だけど

人とコミュニケーションを取りながらの仕事では「なぜ?」じゃなく

「どうしたい?」「「どうなりたい?」って目的を基本にして考えると

いろいろええ発想ができるらしい。

 

目的論様様やな。